修羅の旅立ち(No.7)
更新日:2013年12月18日
大阪府教育委員会の田代係長は、腕組みをして天井をにらんでいました。
大修羅を、切断して取り上げるという計画が、新聞で報道されたのは、2日前でした。腐食の進んだ、9メートル近い長尺ものの取り上げの困難さと、その後の保存処理作業を考えての結論でしたが、市民はもとより歴史学、考古学の専門家からも、大きな反響があったのです。その大半は、なんとか切断せずに取り上げることができないのか、という内容で占められていました。これらの連絡のなかに、田代係長の心を揺さぶる申し出が含まれていたのです。
申し出の主は、大阪市住之江区に本社をおき、超重量物の運搬を専門とする(株式会社)阿知波組でした。その申し出の内容は、修羅を切断せずに取り上げ、指定の場所まで移送し、しかもその費用は、一切阿知波組で負担するという、魅力的なものでした。阿知波組の好意を受けるにしても、保存処理施設の受入体制に問題が残っていたのです。
この問題は、遺物の保存処理を専門とする(財団法人)元興寺文化財研究所と、文化庁および大阪府教育委員会と協議を進めることにしました。三者協議の結果、大修羅用の超大型保存処理水槽を、生駒市の元興寺文化財研究所内に新設することに決定をみたのです。
大修羅は、当初の計画を変更して、切断せずに取り上げ、保存処理が施されることになりました。短時間のうちに、困難な問題が次々と解決していく事態に、田代係長自身が最も驚いていました。その驚きは、修羅の人気が本物であるとの実感につながっていったのです。
昭和53年5月2日、大型クレーンが動きだし、修羅の取り上げ作業が始まりました。この取り上げ作業に先立ち、阿知波組は、修羅の外側に2本のH鋼を沿わせ、修羅の下に枕木10数本を入れ、H鋼に固定するという準備を完了させていました。修羅とH鋼の間には、発泡スチロールを注入し、修羅が傷つかないように配慮しました。大型クレーンは、軽々と修羅をつり上げ、大型トレーラーの荷台へ移動させました。関係者からは、期せずして拍手が沸き上がりましたが、あっけないほどの手際の良さでした。
修羅を乗せたトレーラーは、パトカーに先導されて、生駒市にある元興寺文化財研究所に向けて、ゆっくりと動き出したのです。
修羅を覆う紅白の幕は、5月の空によく映えていました。
写真:大型トレーラーで運びだされた修羅
『広報ふじいでら』第257号 1990年10月号より
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