修羅を曳く(No.8)

更新日:2013年12月18日

石川の河原で行われた修羅の牽引実験風景

昭和53年9月3日午前9時、大和川の河川敷を見下ろす土手の上は5000人の人垣で膨れ上がっていました。河川敷では、復元修羅の人力牽引実験が今始まろうとしていたのです。
この実験に使用された復元修羅は、二またになった1木で作られた出土修羅と違って、2本の木をボルトでつなぎ合わせたものでしたが、形や大きさはほぼ忠実に再現されていました。
修羅に巨石を載せて曳っ張ってみようという計画は、朝日新聞社のアイデアでした。この計画を単なるショーに終わらせないために、いわば、実験考古学として取り組むことが決定していました。考古学や古代史はもとより、近世史、交通・土木工学、文化人類学、保存工学、木材工学などの専門学者の指導・助言を得るために復元委員会が組織されました。
復元に使用する材木は、徳之島の原生林から切り出したオキナワウラジロガシの原木が選ばれ、さらにその加工には、法隆寺の宮大工西岡常一棟梁を配するという念入りな準備体制が引かれたのです。
朝日新聞社の熱意と委員会の協力もあって、復元大修羅は、出土から4ヶ月後の7月末に完成しました。完成後、同志社大学の田辺校地でウインチによる牽引実験を行いました。この実験によって、復元修羅の能力が巨石の運搬に十分耐えるものであるという見通しが得られていたのです。しかしながら、初めての人力による牽引実験を前に関係者の緊張は、いやが応にも高まっていました。
実験は(1)地道 (2) 木馬道 (3) 道板とコロの組み合わせ、の三種類が予定されていました。まず地道に置いた修羅に14トンの花崗岩を載せ、200人の曳き手によって「エーシャ」の掛け声で実験が開始されました。ロープの1本が切れましたが、修羅は微動だにしませんでした。今度は曳き手を300人に増やし、挑戦することになりました。動きはしましたが、その距離は、掛け声1回につき5センチほどに過ぎなかったのです。息を凝らして見つめる見学者からは、先行きを案じるため息が洩れました。地道のじか曳きでは極めて効率が悪いことがはっきりしたのです。
次いで、80センチの間隔で丸太を敷いた木馬道の実験に移りました。修羅はするすると動き、1回の掛け声で1メートル以上進んだのです。ウォーという見学者の歓声が大和川の河川敷を覆いました。

写真:石川の河原で行われた修羅の牽引実験風景(阿知波組提供)

『広報ふじいでら』第258号 1990年11月号より

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