修羅の年代(No.9)

更新日:2013年12月18日

三ツ塚古墳(中央、上方は仲津山古墳)

発掘調査をしていると、市民から「その土器はいつのもんですか」と質問を受けることがあります。「奈良時代の初めです」と答え「ほう、そうですか」なんてやりとりを交わします。
でも「奈良時代の初めです」という答えをよく考えると、その土器の作られた年代を指しているのか、使われた時期をいっているのか、また、これが壊れて、捨てられたときをいっているのか、あいまいな答えであることに気づきます。
つまり物の年代には、製作・使用・廃棄という三とおりがあるという当たり前のことを記憶にとどめておいていただきたいのです。
前置きが長くなってしまいましたが、今回は修羅の年代について考えてみたいと思います。
まず、修羅の発掘調査を担当した高島徹さんの見解を聞いてみたいと思います。
高島さんは、修羅の出土状態から、修羅は三ツ塚古墳の周濠が掘られて、間もない時期に濠底に格納されたと考えられること、そして三ツ塚が造られたのが、古市古墳群の最盛期の5世紀と推定されることを根拠として、修羅も5世紀に作られ、使われ、そして濠底に沈められたと考えておられます。
高島説に対するいくつかの反論が発表されています。
一つは、三ツ塚の築造年代に関する問題です。三ツ塚の5世紀築造を裏づける積極的な資料は見当たらず、むしろ、三ツ塚西端の助太山古墳の墳頂の石材が高松塚古墳のような石槨天井石だとすれば、その築造が7世紀以降に下る可能性があることを指摘しています。
いま一つは、修羅で運んだであろう巨石を使う文化は、明日香の石舞台古墳のような巨大な横穴式石室の登場を待たなければならないことを挙げています。
三ツ塚の築造年代については、現在のデータから確実な年代を絞り込むことは、困難なようです。しかし、修羅が巨石の運搬具だとすれば、その使用時期が古墳時代後期、しかもその後半期を大きくさかのぼることはないという説は、なかなか魅力的な響きをもっています。
修羅の使用時期の一点が7世紀を前後すると仮定したとしても、その製作や廃棄(格納)の時期は、確定することはできないのです。修羅の年代をめぐる問題は、まだまだ大きな議論を呼ぶようです。

:石槨(せっかく) 棺を覆っている石組み。

写真:三ツ塚古墳(中央、上方は仲津山古墳)

『広報ふじいでら』第259号 1990年12月号より

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