倭の五王の比定1(No.158)

更新日:2020年05月06日

 今回は、讚、珍、済、興、武という名前で中国正史に登場した倭の五王が日本のどの天皇に当たるのかという問題を考えてみようと思います。

 この問題の本格的な研究は、江戸時代京都の儒学者で医者の松下見林(けんりん)さんによって扉が開かれました。松下さんが著した『異称日本伝』(1693年)は、中国・朝鮮の膨大な文献史料から日本の関係記事を丹念に抄出集成した日本外交史です。そのなかで、五王の関係では、王名の比定まで論を進めています。

 この王名比定で松下さんが重視したのは、五王名と天皇の諱(いみな=実名)との字の意味と字形の相似関係でした。すなわち、讚は、履中天皇の諱、去来穂別(いざほわけ)の訓の略。珍は、反正天皇の諱、瑞歯別(みずはわけ)の瑞と珍の字形が似る。済は、允恭天皇の諱、雄朝津間稚子(をあさづまわくご)の津と済の字形が似ている。興は、安康天皇の諱、穴穂(あなほ)が訛ったもの。武は、雄略天皇の諱、大泊瀬幼武(おおはつせのわかたけ)を略したもの。としました。

 松下さん以降の五王比定論は、松下説への批判という形で展開していくのです。

 『異称日本伝』が出版されて約20年後の1716年、著名な儒学者の新井白石さんが『古史通或問(こしつうわくもん)』を著し、そのなかで五王の比定の問題にも言及しています。新井さんの結論は、松下さんと同じ、讚=履中、珍=反正、済=允恭、興=安康、武=雄略でしたが、その根拠は、字音の類似に統一したものでした。すなわち、讚はサヌで履中の諱の去来(イサ)から、珍はチヌで反正の諱の瑞(ミズ)から、済はツーで允恭の諱の津(ツ)から、興はホンで安康の諱の穂(ホ)から、武は雄略の諱の武から取ったものとしました。

 松下さんの比定の根拠が、字形と字訓の類似を混在させたのに対し、新井さんは字音の類似に絞って比定を試みています。新井さんの合理主義的な考え方が反映したのでしょう。ただ、笠井倭人さんは、チヌとミズが共通した音で結ばれるとした点や興をホンとする点に疑問を呈しています。

 さらに注意しておくことは、新井さんの研究は、五王の比定にとどまらず、『古事記』干支を尊重した年代論、さらに五王が遣使朝貢した意義にまで解き及んでいます。 そうした意味では、五王研究の定型が新井さんによって確立されたとも言えるでしょう。

 新井白石さんの『古史通或問』から約60年後の1778年、本居宣長さんが『馭戎慨言(ぎょじゅうがいげん)』を著します。国学者の本居さんは、儒学的合理主義者の新井さんとは、相いれない古代認識をもっていたことはよく知られています。その端的な違いは、中国文献に対する態度に表れています。新井さんは中国文献に史料としての高い信頼性をおくのに対し、本居さんは中国文献が言わば中華思想に彩られていて、史料としての信頼性は高くないと評価しているのです。

 本居さんは『日本書紀』の紀年から讚、珍、済は允恭天皇、興と武は雄略天皇の代のことであるとし、これら五王の遣使は天皇の事績ではないと結論します。(つづく)

2003.5

倭の五王の系譜

倭の五王の系譜図

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