藤井寺市名誉市民
更新日:2021年11月04日
藤井寺市に特にゆかりが深く、政治、経済、学術、技芸その他社会文化の進展に貢献された功績が顕著な方に対し、藤井寺市名誉市民の称号を贈っています。
奥村旭翠氏
平成28年11月3日顕彰
奥村旭翠(本名:奥村和美)氏は昭和26年、大阪市生まれ。同48年、筑前琵琶奏者の山崎旭萃氏に入門され、筑前琵琶の修業を始めました。その後、師のもとで研鑽を積み、同51年にNHK邦楽オーディションに合格、同60年に筑前琵琶橘流日本橘会「師範」となられるなど、筑前琵琶奏者として着実に歩みを進められました。平成18年には筑前琵琶橘流日本橘会「秀師範」、翌年には同会「大師範」となり、日本を代表する筑前琵琶奏者としてその振興に努められました。長年、藤井寺市で演奏会などを通じて地域の文化・芸術の向上に大きく貢献されています。
平成28年、筑前琵琶の伝統的な技法を高度に体現し、卓越した演奏が持つ高い芸術性が評価され、琵琶奏者として重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。
経歴
昭和48年 山崎旭萃氏(平成7年人間国宝)に師事
昭和60年 筑前琵琶橘流日本橘会「師範」
平成18年 同会「秀師範」
平成19年 同会「大師範」
平成28年 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定
(賞歴)
平成 8年 大阪文化祭賞
同 20年 大阪市民表彰
同 27年 第36回松尾芸能賞
藤井寺市民表彰
令和 3年 旭日小綬章 など
堀端宏氏
平成18年11月5日顕彰
堀端宏氏は、昭和18年、大阪府南河内郡喜志国民学校に赴任、兵役を経て羽曳野市立高鷲中学校等で教諭を勤められました。同42年1月羽曳野市立高鷲中学校教諭を退職され、大阪府議会議員選挙に立候補・当選し、以後3期12年間在職されました。その間、府議会文教常任委員会委員長、決算特別委員会委員長等を歴任し、府民福祉の向上に貢献されました。
昭和54年4月、藤井寺市長選挙に立候補し、当選、同54年5月より、市長として本市の発展のため豊富な政治手腕と優れた才腕をもって事業推進に尽力されました。在職20年の間に、市立保健センターの竣工、市民病院の増床、福祉会館の新設などに取組み、その他、生涯学習センターや新庁舎の建設など、数多くの功績を残し、本市の発展に大きく貢献されました。
(経歴)
昭和18年 9月 大阪府南河内郡喜志国民学校訓導
同 33年 3月 羽曳野市立高鷲中学校教諭
同 42年 1月 羽曳野市立高鷲中学校 退職
同 42年 4月 大阪府議会議員
同 54年 5月 藤井寺市長
平成11年 5月 藤井寺市長 退任
平成25年 7月 逝去
(賞歴)
昭和20年 9月 叙正八位
同 52年 5月 大阪府知事表彰
同 52年11月 全国府議会議長会会長表彰
同 63年 4月 藍綬褒章
平成 2年 6月 全国市長会永年勤続功労表彰
同 10年 6月 全国市長会特別功労表彰
同 11年10月 市町村長自治大臣表彰
同 12年 4月 勲三等瑞宝章
同 25年 7月 叙位 など
松内慶造氏
昭和54年11月3日顕彰
松内慶造氏は、昭和2年4月藤井寺村役場に奉職。公務員として常に住民サービスに努めるかたわら、行政諸般に関する豊富な知識を習得され、同11年11月、若干25歳にして収入役に抜擢されました。その後、柏原町役場に奉職されるも、同27年3月、藤井寺町に助役として迎えられ、その在職は15年間にわたりました。その間、町の合併や町名変更など、目まぐるしく変わる町行政に的確に対処され、町長の良き補佐として大いにその手腕を発揮されました。
昭和42年5月当時の市長の勇退に伴い市長選に出馬、初当選し、市制施行間もない市行政を軌道に乗せ、在職12年の間に、学校諸施設や保育所、市民総合会館などの公共施設を設置するなど、現在の藤井寺市の礎となる数多くの功績を残されました。
(経歴)
昭和 2年 4月 藤井寺村役場書記
同 11年11月 藤井寺町役場収入役
同 14年 5月 藤井寺町役場 退職
同 14年12月 柏原町役場書記
同 27年 2月 柏原町役場 退職
同 27年 3月 藤井寺町助役
同 42年 5月 藤井寺市長
同 54年 5月 藤井寺市長 退任
平成 3年 2月 逝去
(賞歴)
昭和35年 大阪府知事表彰
同 47年 藍綬褒章
同 53年 永年勤続市長表彰
同 57年 勲五等双光旭日章
平成 3年 正六位 など
稲岡鹿治氏
昭和49年11月3日顕彰
稲岡鹿治氏は、大正5年大阪府南河内郡国分尋常小学校訓導に赴任、11年間訓導として勤務され、昭和2年大阪府南河内郡小山尋常小学校校長に就任。以来訓導校長を歴任するなど23年の長きにわたり、本市の教育行政推進に尽力されました。
昭和22年12月、藤井寺町長に就任し、現在の藤井寺市の母体である新町発足に尽力され、同34年5月、藤井寺道明寺町長(同35年1月、町名変更により美陵町長)に就任されました。更に同41年11月藤井寺市制施行に伴って初代藤井寺市長に就任し、同42年5月任期満了により勇退されました。
町長及び初代市長として市政運営、街の発展、住民の福祉向上に大きく貢献され、本市小学校教育と町市の最高責任者としての在職期間は、実に38年間にも及び、人生活動期の殆どを本市の発展に献げたものであり、その功績は偉大なものです。
(経歴)
大正 5年 3月 大阪府南河内郡国分尋常小学校訓導
昭和 2年 3月 大阪府南河内郡小山尋常小学校校長
同 22年 4月 大阪府南河内郡高鷲村村会議員
同 22年12月 大阪府南河内郡藤井寺町長
同 34年 4月 大阪府南河内郡藤井寺町長 退任
同 34年 5月 藤井寺道明寺町長
同 35年 1月 美陵町長
同 41年11月 藤井寺市長
同 42年 5月 藤井寺市長 退任
同 51年12月 逝去
(賞歴)
昭和36年 大阪府知事表彰
同 38年 全国町村会長より自治功労者表彰
同 41年 勲五等瑞宝章
同 52年 正六位 など
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