古墳だらけのまち、藤井寺
更新日:2024年12月28日

古墳密度No.1の藤井寺市
大阪府の中で最も面積が小さく、市としては日本全国でも5番目に小さい藤井寺市。
人口密度は大阪府で8番目と高く、ベッドタウンとして知られています。一方で古墳はというと、古市古墳群にあった130基以上の古墳のうち、藤井寺市域の古墳は94基で、その中の29基が現存。藤井寺市は「古墳密度世界No.1のまち」なんです。
一体なぜ、藤井寺市は古墳だらけになったのか。そこには、たくさんの偶然や発見がありました。
藤井寺市と相撲の意外な関係?
藤井寺市に古墳がたくさんあるそのわけには、「野見宿禰(のみのすくね)」という一人の男が深く関わっていると言われています。
当時出雲の国(現在の島根県)にいた彼は、力持ちとして有名でした。そこで天皇の命令により、日本中で負けなしと言われていた当麻蹴速(たいまのけはや)と相撲をとることに。見事勝利した彼はこの辺り一帯を領地として与えられます。

埴輪が生まれたきっかけ
こうして功績を認められた彼は、その後あらゆる場所で様々な伝説を作ります。
その中でも一説によると、彼が日本で初めて埴輪をつくったのだとか。
当時は権力者が亡くなった際には部下や妻が一緒に埋葬される「殉死(じゅんし)」という文化があったといわれていました。
しかし、あまりに多くの命が一度に失われることから、野見宿禰は人間や生き物ではなく、代わりに人の形をした人形、さらに動物や家の形などの土の人形を古墳に埋めることを提案します。これが、埴輪の始まりと言われています。
当時それは大変画期的なことで、その功績から野見宿禰は「土師臣(はじのおみ)」の姓(かばね)を与えられたといわれています。



古代のシリコンバレー、藤井寺
それ以降の古墳時代では、土師(はじ)の一族は古墳づくりと埴輪づくりを任される、技術者集団の一家となりました。こうして、野見宿禰の功績から、藤井寺市は古墳時代の技術者集団が住む特別なエリアとなったのでした。
こういった史跡はたくさん藤井寺に残されており、当時の埴輪づくりに使われていた登り窯のレプリカや石材を運ぶ修羅が、藤井寺市の各スポットで展示されています。
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